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吉祥寺 (古河市) : ウィキペディア日本語版
吉祥寺 (古河市)[きちじょうじ]

吉祥寺(きちじょうじ)は、茨城県古河市水海にある時宗の寺院。山号を清浄山、院号を歓喜院という。本尊は阿弥陀如来清浄光寺(現在は藤沢市)の末寺。〔『総和町史 民俗編』 457頁(吉祥寺)〕 〔『総和町史 通史編 近世』 385頁(町内の寺院 水海村・松本剣志郎 執筆)〕
== 歴史 ==
創建について詳細は不明だが、寺伝によれば、もとは水海南部・現在の利根川近くの柳原にあり、真言宗寺院だったが、嘉元 3年(1305年)、一遍の弟子・真教が滞在したおりに時宗に改宗したとされる。〔
寺があった柳原は古河公方重臣・簗田氏居城の水海城に隣接し、正蔵寺実相寺普舜院などの寺院が密集していた。また港湾部にもなっており、現在の利根川下流域、すなわち当時の常陸川香取内海の交通・交易の拠点となっていた。吉祥寺も交通・交易に携わる人々に支えられ、創建されたと推定される。〔『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 493 - 497頁(古寺院の密集する景観、中世都市六浦・品川との類似 ・ 内山俊身 執筆)〕
天正 18年(1590年)、小田原合戦にともない、豊臣秀吉の軍勢によって柳原一帯も焼き払われ、吉祥寺の堂宇も焼亡。のちの慶長2年(1597年)、内水海の現在地にて再建される。〔
天正 19年(1591年)11月の領地安堵により、5石の寺領があった(「下総国旧事考」)〔。文政 4年(1821年)、堂宇は再び焼失したが、同 6年に再建される〔。
明治 3年(1870年)、檀家は80軒あった(『社寺取調類纂』46 - 172)〔。昭和 39年(1964年)、堂宇の大修築を行ない現在に至る〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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